目 次
1.名鑑発刊を祝す 仲川たけし
2.日川協のあゆみ 山田良行
3.全日本川柳大会の足あと 礒野いさむ
4.全日本川柳大会受賞句
5.国民文化祭文芸大会受賞句
6.日本川柳集句集
7.私の一句
8.全日本柳人写真名鑑
9.名鑑索引
10.加盟柳社名簿
11.あとがき
名鑑発刊を祝す
社団法人全日本川柳協会の設立を記念して、川柳界の全貌と活躍中の川柳人の名鑑並びにその代表句を合わせて編集致し、発刊することになりました。これは川柳指導者の合同句集とも言えるもので、社会に、川柳とはこのような文芸であると言うことを示すものでもあり、川柳研究の指導書とも言うべきものでございます。
平成四年六月三日、文部大臣により社団法人全日本川柳協会の認可を頂きました。これは文部省当局は勿論、特に文化庁のご埋解とご指導によるものでありますが、社会全般の川柳に対する認識と評価によるものでもあり、先輩達の長年の努力が実った証とも言えるものでありましょう。
この際、いささか川柳界の流れを申し上げなければなりません。
日本川柳協会(日川協)の創立は、昭和四十九年十二月に片山雲雀を埋事長として出発を致し、昭和五十二年第一回の全日本川柳大会が東京で開催されました。理事長も雲雀から中島生々庵-藤島茶六-山田良行へと引継がれ、現在活動を続けているところであります。その間、月例の常任理事会を大阪、東京、九州それぞれに開催し、また、参加吟社も三百数十社を数えました。全国の川柳人大方が参加しての活動により、日本の文芸に重要な位置をめ、文学の世界、マスコミ等の社会に認められて来ました。しかしながら、短詩型文学の中で必ずしも優位とは言えぬ位置でありました。我々は出来得る限り早期に杜団法人の認定を受けたい。これは日本全川柳人の願望でありました。勿論、私も又その最重要性を痛感していた一人であります。
平成三年七月、私が次期参院選には出馬しない意志表明をした直後、役員全員からの日川協の会長就任の要請の話があり、既報経過の通り総会を経て、十一月に会長となり、同時に法人化への道を歩み出したのであります。そして平成四年六月三日、その実現を見ることが出来ました。時あたかも全日本川柳和歌山大会の直前であり、社団法人全日本川柳協会としての初の大会と位置付け、川村文化庁長官のご出席も賜り、最も盛大に実施をすることが出来た次第であります。
さて、このように法人化されましたが、昭和四十九年から今日まで多くの先輩川柳人達が作り上げて来た日本川柳協会の精神的な原型を継承しながら且つ十二分に配慮のうえ、公の団体となった全日本川柳協会を杜団法人として、定められたものにいかに統合発展させてゆくかの課題が当然出て来ました。また、細部には多く現在までの慣行と相容れない部分もあり、各機関に図りながら調和と連携に努力中であります。これにはある程度の日時を要しますが、関係者の寛容と努力により運営は支障なく進んでおります。
さて、今後の問題は各地域の指導者は勿論でありますが、川柳人全員が川柳の量と質との増幅に取り組まなければなりません。また、我々の当面の目標として、川柳の伝統文芸を小中学校の教科書に記載が出来る運動を展開しなければなりません。現在放送界及び日刊新聞は言うに及ばず、雑誌その他の刊行物に川柳を載せていないものはありません。川柳と庶民生活のかけがえのない結びつきは古くからでありますが、特に時事を論ずる短詩としては唯一のものと言えましょう。全国の川柳人の身近な運動として、本協会はそのための環境作りを指導しなければならないと思います。
次に社団法人全日本川柳協会として、公に認められましたこの機会を捉えて、各都道府県をはじめ市町村、各種団体へのアプローチをすべきでありましょう。そのためにも各地域の組織強化と連携が特に必要となります。指導者の努力をお願い申し上げます。
この際、現在までの経過と日川協の指向している一部をご報告申し上げ、この柳人名鑑と共に関係者のご協力とご精進を心よりお願い申し上げ、記念のご挨拶と致します。