正 賞 『恋文』 真島久美子著
準 賞 『晩夏』 佐藤春子著
総評 選考委員:梅崎流青
「第18回川柳文学賞」選考委員会は2025年5月9日、東京上野精養軒で開かれた。選考委員は委員長の雫石隆子、委員に佐藤美文、新家完司、文芸評論家の荒川佳洋そして梅崎流青の五名。先に各々が選考した句集名とその選考理由を参考資料として進められた。
今回の応募数は全国から17篇。選考結果は文学賞に佐賀、真島久美子の「恋文」。5人全員が1位から3位まで、という圧倒的評価。準賞には秋田、佐藤春子の「晩夏」。3名がそれぞれ1、2、3位と推した。「晩夏」は先の東北文学賞受賞歴がある。選外とはなったが加藤当百の「帰一」、杉山夕祈の「冬のソフィア」、津田暹の「川柳三昧+風味」を評価した選考委も。
全日本川柳協会の「川柳文学賞」は川柳人の大きな目指すべき指標。全国の川柳人の「刺激」でもあり続けたい。
今回もある出版社からシリーズとしての句集が寄せられた。その数は文学賞応募作品の一定程度の割合を占める。
川柳句集出版は昔からいわれているが、他の短歌、俳句に比べ比較的に少ない。その意味で言えばこの出版社の川柳人に対する「貢献度」はそれなりのものがある。
それは作者の言葉として共通している「迷っていたが句集出版の背中を押してくれた」がある。ただ川柳作品の伝達の手段、としては完結するが文学賞対象としてそれらの頁を捲るときどこかに物足りなさを感じてしまう。
それはあるべき個としての主張が一連の定期刊行物の連なりに埋没してしまう危険性があるからだ。
川柳に限らずあらゆる表現には独創性が求められる。お任せの装丁、決められた掲載句数、頁数などよくよく子細に目を凝らさなければその違いを見出すことは困難だ。
包装紙も、箱もまた饅頭の数も形も同じで、違うのはあんこの味、だけになりかねない。句集発刊の間口の広さ、低さはどうしてもこのような形となって表れる。
確かに宣伝も配布も一任で、一丁上がりとなる気安さ。それはそれで決して悪いことではない。だが文学賞に応募するということはもっと自身を掘り下げ高みを目指して貰いたいもの。
一人の人間が生涯に出す句集の数など限られる。一冊も、という人が大多数なのだ。それだけに「私の句集」は、選び抜いた作品数を前提に、句集のタイトル、活字の書体大きさ、紙質、頁数、表紙とカバー、序文、あとがきなど心を砕くことを惜しんで欲しくない。装丁を考える作業は結構楽しい時間でもある。個展を前に額縁に頓着しない絵描きなど果たしているのだろうか。
読み手に渡す本の形と重さまでもが「私の句集」である。
読み手、鑑賞者としてはどのような暮らしの中でこの作品が生まれたのかは大切な情報だ。また住所や年齢も作品鑑賞の手がかりとなる。詠み手と読み手により句集は完成する。こうして生まれた句集はこれからの川柳生活の互いの財産や励みともなろう。(文中敬称略)
正賞 「恋文」真島久美子(佐賀)
評(1位推薦) 雫石 隆子
日常の中の川柳、ごくごく自然に川柳が日々の真ん中にある。特別な一句があるとは思わないが、若さはあるのでこれからも期待できる。全国の川柳界を歩き、学びたいの姿を見ているがこれも良いではないか。句集の装丁や発行部数も多いのが、アピールにもなろう。次回作の句集も期待したい。
評(1位推薦) 新家 完司
いずれの作品も切り口は斬新であるが、決して難解ではない。また深い想いを述べていながら、その表現は滑らかで素直に届いてくる。「帰りたいときに帰れという小雨」「花びらの重さを知っている水面」など、誰もが見過ごしている水面や小雨に想いを重ねる手腕。そして、「哀しみの高さで飛んでいる蛍」「青虫は決して今を恥じてない」など、いずれも飛躍した考察でありながら説得力があるのは、対象と同じ位置に身を置いている謙虚な姿勢の表れである。
評(1位推薦) 梅崎 流青
〈長雨が例え話の中に降る〉〈なにひとつ許していない水鏡〉夜来の雨の激しさが罪も流してくれたものと。雨が残した水溜りに己の影を映して愕然と棒立ちに。水鏡はどこまでも真実を語る。
〈指先が天道虫になりたがる〉一つずつ重ねていけば、との思いは地道に、というのが前提だ。だが太陽に向かって飛ぶといわれる天道虫の誘惑に負けそうになるこの指。比喩が出色。
〈軽々と言葉を越えてくる涙〉一つの現象が百の言葉より重みを持つことを表現。〈転がったサプリを拾うとき独り〉錠剤やサプリを服用しなければならぬ暮らしの一コマ。募る孤独感に共感。
〈そこはもう光ですねと閉じる棺〉人の生命は五欲を貪る期間をいうのだろうか。いやむしろ棺の蓋を閉め、永遠の光りの中にこそ、と読み手に問いかける。〈父である為に燃え続ける父よ〉そうだ。この世の父は父であるためには燃え続けるしかないのだ。燃焼の三条件の一つとなって家族を温める。 句集は575の17音だけをまとめた集合体ではない。表紙、扉、カバーから活字、レイアウトまで目配りした総合的なもの、ということを改めて認識させる。発行部数800、という数字も「川柳普及の向上」に適ったものであろう。
評(2位推薦) 荒川 佳洋
この作家の全句業といっていいのかもしれない一冊。まずは出来上がった作風で、安定感がある。どれも巧い。しかし通読すると、あんがい平坦な印象である。それは「桜にも母にもなれず春が来る」「もういいよ飛べない鳥もいるんだし」「脱皮してきました抱いてくれますか」などに本音が出ていると思うが、古典的な社会通念の持ち主だからではないか。常識を疑う、世間知をひっくりかえすところに文学の存在価値があると思うが、どんなもんでしょうね。「指紋認証ここから先は海の底」なんかは、外国人押捺問題まで視野に入れて、やすやすと個人情報をお上に差し出す日本人の感覚を笑いたいところ。
評(2位推薦) 佐藤 美文
若い、私より36歳も若い。奥付の笑顔も若い。「恋文」という句集名も若い。だから選んだ訳ではない。あくまでも作品を評価しての推薦である。そしてこれからの活躍も期待できそうである。川柳の周囲の励ましにもなるのではなかろうか。
一句挙げると「進むしかなかったわたくしの弱さ」
準賞 「晩夏」佐藤春子(秋田)
評(2位推薦) 新家 完司
現代川柳のメインテーマの一つである「自分を詠う」を堪能させる1冊。「空ばかり見ては短い手を伸ばす」「チロチロと生きて線香花火かな」など、自嘲でありながらユーモアを含んでいるのは、作者持ち前の元気度であろう。また、「すごんではみるが相手は静電気」「知恵の輪にもうやめたらと言われたわ」など、思いがけないものを対象とする手腕は非凡であり、全編を通じて感じられる前向きの姿勢が読後の爽やかさを生んでいる。
評(3位推薦) 梅崎 流青
〈間欠のワイパーだけがしゃべる夜〉ふたりのあいだにしばしの無言。この無彩色の闇に等間隔のワイパーの軋み音を無表情に表現してみた。〈人の世は寒しケモノのままでいる〉なまじ人間の温さが仇になるこの世。いっそ熊のように冬眠して来たる春を待つことも一手。〈チロチロと生きて線香花火かな〉やがて散り菊となり小さな玉を落とす線香花火。人の一生をこの花火に見立て今この来し方を振り返る。オノマトペが有効。〈堕ちていく人を見ている半夏生〉藁一本も投げてやれぬ人と人とのあわい。友情も正義もそして絆という言葉も時に何の意味も持たぬ時がある。夏はこれからという光りの中の明と暗。〈サクラから命ぬかれてそれっきり〉来年のサクラを観ようと約束したのに無表情の木偶。命を抜かれた木偶を時々揺すったり脅したりしてもみる。〈なぜだろう雨がこんなにあたたかい〉先入観は疑うべし。開花を促す雨を手で受けてみる。〈現世から来世に持ってゆく手紙〉富める者も貧しい者も来世には無用のものばかり。しかし、この手紙だけは悠久の時間を費やしてみても読み返す大切なもの。「自分の句を詠めばいい」と作者。等身大という大きさが読み手に安心感と感銘を与える。そして川柳歴という物差しで計ることのできぬ句集でもある。
評(1位推薦) 佐藤 佳洋
今回は期せずして「句集」が3冊並んだ。他の応募作はほぼ「川柳句集」であるのに、「句集」とするところに何か意味があるようで、時評家ならここを切り口とするところだ。今回も東北川柳文学大賞の受賞作家ということで、後追いをするようで気がひけるが、ひとえに東北川柳連盟のレベルの高さである。東北の地でなければならない、暗さも明るさもここにはある気がする。と、どうじに現代川柳の隆盛がなければこの作家は出てこなかったという気もする。「お手玉ポンポンかわりばんこに嫌なこと」「まなじりや次の不幸をとらえたる」「出稼ぎやザルで水など掬わされ」「舌下錠そっと溶かしてゆく本音」「ワタクシの杖が呑まれてゆく花野」「過去なんてすぐかわくのよ水たまり」など、いい。「ハエのAハエのB子が来なくなる」は比喩かと思ったが、そのあと、「なついてるハエ」の「独り立ち」を按ずる句があり、本物の蠅のことと分かって、幽閉された人の孤独を想像してしまった。こんなハエの詠い方もあるのかと感心。
主な掲載作品『恋文』
- インナーは金魚の匂いして豪雨
- 水底にぽつんと置いてある失意
- 鍵穴を覗くと向こう側も雨
- 花びらの重さを知っている水面
- 意味もなく鷗になりたがるティッシュ
- 海鳴りが止んで生身の文字を書く
- 哲学書開けばここも蝉時雨
- もういいよ飛べない鳥もいるんだし
- 青虫は決して今を恥じてない
- 音たてて沈む私を見てほしい
- ニンゲンヲタベテキタノと舌が言う
- カーディガン脱いで一人の皮膚呼吸
- 切り札はとても痛くて出せません
- 強いねと言われ淋しいよと返す
- 花火より哀しいものが見当たらぬ
- 落とし物ですか 捨てられたのですか
- 鏡どこまで私を連れてゆきますか
- 父さんが少年になる竹細工
- 冗談の続きのように見る遺影
- 降参はしない家族のかくれんぼ
- 戻れない道にも種を蒔いておく
- 綾取りの橋を渡ってゆく覚悟
- 虹が立つ方位磁石の真ん中に
- 優しさですべてを包む卑怯者
- 傾いていないか話しかけてみる
- 桜にも母にもなれず春がくる
- 待つ人はもういないので咲きますね
- 紫陽花が咲き感情に蓋をする
- 向こう岸ばかりに届く桃である
- よそ見していたら夕陽に溶けていた

A5判上製本・180頁
株式会社共和印刷
主な掲載作品『晩夏』
- すりへった ここが心のあった場所
- お手玉ポンポンかわりばんこに嫌なこと
- プライドからガスがもれてるようですが
- 知恵の輪にもうやめたらと言われたわ
- さよならを胸で育ててゆく晩夏
- 叩け叩け叩けトライアングルゆがませて
- 目も耳もただの飾りでございます
- どちらかが私も擬態月ふたつ
- 間欠のワイパーだけがしゃべる夜
- あの頃は虹も夕日もつかめたよ
- すごんではみるが相手は静電気
- ワタクシは裏も表も使えます
- 私からふいに出てくるバカヤロウ
- 一本の生命線をぶった切る
- 奈落からじっと見ている人の足
- 闇の中やさしい黒とこわい黒
- ひんやりと闇が私に添い寝する
- 目はふたつ心もふたつ持ってるわ
- 幸せのあとのはげしいもみ返し
- ほしいなあサザエさんちの笑い声
- いい人が造ってくれた泥の舟
- 指切りを信じた方が敗者です
- この日々を誰が運んで来るのだろ
- 六十の今どの辺のアホウかな
- 泣かないわワタシ四輪駆動だし
- ウソが下手縦列駐車もっと下手
- 私には私の敗者復活戦
- なぜだろう雨がこんなにあたたかい
- 独り立ちできただろうかあのハエは
- 紙コップ軽いワタシの物語

四六判ソフトカバー・頁
東北川柳連盟