正 賞 『甘藍の芽』 城水めぐみ著
準 賞 『フツー』 斎藤泰子著
総評 選考委員:雫石隆子
第17回川柳文学賞選考は5月7日、東京の上野精養軒において行いました。選考委員は昨年に続き、佐藤美文さん、新家完司さん、梅崎流青さん、文芸評論家の荒川佳洋さん、私の5名が一堂に介し、先に事務局に提出した選考結果を基に会議が進みました。
今回の応募数は21篇です。北海道から九州まで網羅する21人のチャレンジャーでした。日川協が主催する文学賞に相応しく、全国規模の応募と思います。
さて、受賞者の選考結果は兵庫県在住の城水めぐみさんの『甘藍の芽』です。5人の選考委員のうちの3人が1位に推薦しました。準賞には同じく3人の選考委員が2位に推した秋田県の斎藤泰子さんの句集『フツー』でした。
選考委員はそれぞれ3位まで3人を推薦しますが、『右上がり』の大阪の平井美智子さん、『をりをりのうた』の広島の小松好子さんに複数の推薦がありました。その他には『選択肢なんてないのさ』『パラドクス』『川柳いろいろ』『半人前のマリモ』の推薦があります。(静岡・福岡・愛媛・神奈川)
受賞作品『甘藍の芽』については、作家の若さ、川柳の空閑地を埋められそうな才能であると評価され、平易な言葉を並べながらも底の見えないほどの深さを内包している、と推薦者が評価しています。
また、発刊に向けての城水めぐみさんのこだわり、川柳の更なる発展に貢献したい、というところにも感銘しました。
第4回の受賞作品『メメントモリ』の黒川さんも新しい方でした。そして、それ以来の感動がありました。今回受賞された城水さんは柳歴10年未満の作家です。川柳への意欲的な態度に、これからの斯道、未来の川柳を心強く思います。ありがとうございました。
正賞 「甘藍の芽」城水めぐみ(兵庫)
評(1位推薦) 雫石 隆子
提出の句集を全てチェックして、やはり「甘藍の芽」に戻る。作句歴を見ればまだ若いが、魅力ある作品たちである。世代を超えて川柳という文芸のうがち、軽み、ユーモアという価値観を共有できる句集である。
新人にこれだけの川柳愛があることに感銘である。一席に推すことに躊躇することもあるまい。
「十代のあたしの美しい死体」「獰猛なリッシンベンも手懐ける」
「月へ行くたぶんあなたじゃない人と」「愛ですがキャベツ畑に埋めました」
句集へのこだわりも頼もしい。
評(1位推薦) 梅崎 流青
川柳が社会や人間を詠う短詩だとの前提に立てば「甘藍の芽」は自分自身という人間を色濃く投影した川柳句集だといえる。〈おにんぎょうでしたあなたに会うまでは〉は出会いを〈神さまが向けるナイフのようなもの〉に抗うことのできぬ運命を〈触られてやっと楽器になるのです〉にかすかなエロスを詠い上げる。また〈ペテン師の良心咳が止まらない〉〈完璧な嘘だ眼鏡が曇らない〉に社会の一端をのぞかせる。〈化けの皮剥がすりんごのうさぎさん〉〈駱駝から降りると町も人も雨〉は平易なことばを並べているが底の見えないほどの深さを内包している。句集発刊に当たり本のサイズや装丁にもこだわり、書店やネット販売など入手しやすいように考慮した、ことは全日本川柳協会が目指す「一般社会に対し良質な川柳の普及向上に照らし」に資するものであろう。
評(1位推薦) 荒川 佳洋
ひとえに、この作家の若さと、川柳の空閑地を埋められそうな才能に一票を投じたい。作品としては「わたくしの生る樹につま先が触れる」には、詩的緊張感があるが、あとはこの句に匹敵するものが見当たらない。「人間を象りながら濁る水」「噛みついて有刺鉄線らしくなる」あたりが次にいいか。作者の底に、若い女性作家にありがちな、乙女チックなものがあって、「おにんぎょう」「リカちゃん」「アンパンマン」「カボチャ」などメルヘン、アニメ由来の寓意にならぬ寓意作品が並び、これが題材として通俗を脱していない。文芸を志向していることはわかるが、眼高手低というべき。しかし、この独特の若い感覚は捨てがたい。「川柳の更なる発展に貢献し後押し」し、「本のサイズや装丁にもこだわり」出版先も選んだという、意欲的な態度は、評価されるべきである。
準賞 「フツー」斎藤泰子(秋田)
評(2位推薦) 雫石 隆子
カタカナ表記の句集である。「フツー」と虚仮威し?も川柳的なネーミングである。元気溌剌たる女性像、北に生きる逞しさは狼狽えても立ち上がる。生き様を川柳で宣言してしまう。これも可である。
「ほえたってバケツの中の渦だろう」 「ここまでを生きてひりつくこともない」
「古希ラララお辞儀などして通過する」
評(2位推薦) 新家 完司
全作品を通じて響いて来る元気の良さを買う。その元気の源は「わたくしを育ててくれた子育て期」にあるのだろう。そして、その力は「子よちゃんと視なさい人は死ぬのだよ」と次世代に受け継がれてゆく。「この世への礼儀しあわせそうにする」「言うべきは言うぞ閉経後我ら」「怒らせて時々牙を確かめる」「古希ラララお辞儀などして通過する」等々、無理のないユーモアの中にも逞しさが感じられて頼もしい。
評(2位推薦) 梅崎 流青
この作者は「第12回東北川柳文学大賞」を受賞したとのことだが、平場に立ってここに収めてある川柳作品のページを捲る。〈火を隠すのにちょうどいいみかん箱〉〈生きるとはそういうことで米を研ぐ〉などの作品に人生の達観を。〈今ならば戻れる駅に立っている〉の序章に〈戻るには少し遠くに来てしまう〉を終章に配置する心憎さ。〈寛容を下さい木洩れ日のような〉〈個室から洩れる人生らしき咳〉に人間の弱さを詠い込む。一方で〈結局は蜆の泡ということか〉と開き直るしたたかさも併せ持つ。〈東京にじだんだ踏んだ跡がある〉〈東京がやっと気にならなくなった〉と東京を始めと終わりに演出。どこかに秋田、という風土性を匂わせる句集でもある。〈葦一本立たせる雨が降っている〉の葦は作者自身だろう。東北文学賞の評価を決して裏切らぬ作品集といえる。
主な掲載作品『甘藍の芽』
- 人間を象りながら濁る水
- 増えたのは楕円を円にするくすり
- 十代のあたしのうつくしい死体
- 誰か迎えに来て欲しかった塔の上
- 三角に折られた過去を持つ鳥だ
- リカちゃんになるはずだった首の皺
- わたくしのなる樹につま先が触れる
- 背もたれがあればやさしくなれたのに
- くちぶえがきこえる春のくぼみから
- 熟れすぎた林檎まもなく許される
- 性善説で賑わうプリン・ア・ラ・モード
- ウサギ語で再度送信するLINE
- ペテン師の良心咳が止まらない
- 騙し絵にされても鼻は曲がってる
- お姉ちゃんだから切れ端持たされる
- 斜めから見てもお菓子の家である
- 慎重に折りたたまれた紙の父
- キリトリ線から泣き声が漏れている
- モノクロの海に流れる保留音
- ジョーカーを隠すゲームは終わらない
- 完璧な嘘だ眼鏡が曇らない
- 透明にされた身体の水を抜く
- 化けの皮剥がすりんごのうさぎさん
- 獰猛なリッシンベンを手懐ける
- 避雷針刺して苺は待っている
- 二番目に好きな色から減ってゆく
- 滴ると不協和音になる果実
- 愛ですかキャベツ畑に埋めました
- 駱駝から降りると町も人も雨
- 月へ行く たぶんあなたじゃないひとと
主な掲載作品『フツー』
- 今ならば戻れる駅に立っている
- 生きるとはそういうことで米を研ぐ
- もう少し沈めば泥になれるのに
- 寛容を下さい木洩れ日のような
- 幕間に舅のおむつ替えに行く
- 落ちこぼれ介護ことんと眠りこけ
- 笹の葉がこすれるような胸騒ぎ
- 月皓々ベッドの舟で行く大河
- うろたえて佇つ 残像のあざやかさ
- 子よちゃんと視なさい人は死ぬのだよ
- 棒読みで読めよ泣きたくなるじゃない
- 「ド」の音をいつも確認して生きる
- この世への礼儀しあわせそうにする
- 言の葉をこんなにもまぁ散らかして
- 吠えたってバケツの中の渦だろう
- 前夜祭すこし私を見せすぎた
- 強情をこんなところじゃ使わない
- ひとと逢う ルールはちゃんと知っている
- 口実はあとからタクシーが来たわ
- 疲れますちょっと輝くだけなのに
- しあわせもそろそろ次の人の番
- 冷えていく途中で返事してしまう
- もう少し風化してから逢いましょう
- フツーってこんなに泣くんでしたっけ
- 楽になるかしら葉っぱを落としたら
- ほっとする背景の木になってから
- 七十歳毒がまわってきたようだ
- ここまでを生きてひりつくこともない
- どうもどうもお世話になってますこの世
- 古稀ラララお辞儀などして通過する