設立趣旨

川柳とは

 川柳は、俳句と共に日本において最も短い詩であり、その性格から十七音の人間詩と呼ばれ、また民衆詩、風俗詩、風刺詩、社会詩、人情詩等ともいわれております。短歌、俳句等の文芸から見れば歴史の浅いものですが、多くの作家、研究者、愛好者がおり、広く大衆に親しまれている文芸であります。

川柳の始まり

その歴史は、江戸時代の中頃から始まり、連歌の「俳諧」から派生し、当時盛んであった「前句付」「万句合」がその元となりました。

前句付集である「誹風柳多留」が出版され、その選句の公平さ等から江戸随一との評判であった、点者柄井八右衛門の号「川柳」にその名を由来し、付句のみでも充分意味のわかるものから「川柳風」が生まれ、後年に「川柳」と称されるようになったものであります。

明治期以降

一時期、詩的境地から逸脱して、卑俗な「狂句」に走ったため、文学的評価の得られない時代が長く続いておりましたが、明治30年代後半に至って、阪井久良伎、井上剣花坊、岡田三面子らが川柳復興の旗を掲げ、狂句への決別を宣言致しました。

それ以後、各地で活発な運動が展開され、数多くの吟社が生まれ、個々に活動するようになりました。新聞等でも川柳欄が設けられるようになり、多数の愛好者が育ってくると共に、再び庶民の文学として、全国的に普及して参りました。

現代川柳と日川協

昭和49年、各吟社間の連携協力の関係を深め、川柳の質の向上、社会的地位の確立等を図ることを目的として、日本川柳協会(日川協)が結成されました。

川柳では唯一の全国的規模の団体として、広く加入を呼びかけ、全国川柳大会を開催し、各種大会の共催、後援等の活動をしているところであります。特に全国川柳大会は45回(令和4年)を数え、開催地も東京、大阪は勿論、北海道から沖縄までの全国各地にわたり、文字通り全国から川柳人が集い、近年はブラジル、アメリカ、台湾等遠く海外からの参加もあって、年々盛大になっております。

最近では、若年層から老齢者に至るまでの幅広い階層の川柳愛好者も増え、文化庁主催による国民文化祭文芸大会でも、短歌、俳句と並んで川柳が一部門として共催させて頂き、国民的な文芸として、その地位が確立されつつあります。

平成4年6月、新時代に相応しい活動を展開し、大衆文芸としての川柳の一層の普及を図り、組織を強化すると共に連携協力の体制を充実させることによって、川柳の質の向上と地位の確立に務め、もって我が国文化の発展に寄与することを目的として、社団法人全日本川柳協会が設立されました。

平成25年4月には関係法令の改正に伴い、一般社団法人全日本川柳協会と名称が変更され、現在に至っています。

(令和4年 5月)